草稿 その1

1-1 向田邦子 草稿「モテるこつ『頭のテッペンから爪先まで』」

向田邦子

ペン200字詰22枚完 専用箋使用 
           本人署名 価格:800,000円
※脚本家、エッセイスト、小説家であった向田邦子の原稿が世に出ることは非常に珍しく、本原稿は1964(S39)年頃、ある出版社の雑誌の依頼で書かれたものであるが、同社の廃業で未発表原稿となりこれまでどこにも掲載されたことがない。
※購入された方には「向田邦子ふたたび」文藝春秋臨時増刊Aug.1983および「向田邦子をめぐる17の物語」相庭泰志著をプレゼント。







1-2 寺山修司 草稿「ケネディー大統領は二度死ぬ」

寺山修司

鉛筆400字詰5枚完 専用箋使用 
            署名は代筆 価格:400,000円
※1935(S10)年青森県に生まれる。父親は戦病死、米軍兵士に熱を上げる母親の愛情を受けることなくおじ・おばに育てられ、大学進学するも生活保護を受けながらネフローゼで長期入院。1962年SKD出身の九蓧映子(離婚後今日子と改名)と結婚(寺山との結婚生活は実質3年程で、死ぬまで秘書の田中未知が支援)。1966年東由多加、和田誠、横尾忠則らと「演劇実験室・天井桟敷」を旗揚げ。1982年まで続いた実験劇は国内外で高く評価される。しかし、1980年から再び病魔の兆しがあらわれ、1983年5月4日阿佐ヶ谷・河北総合病院にて肝硬変と腹膜炎を併発して永眠。享年47歳。5月9日の青山葬儀場の葬儀に24,000人が参列。
※家族の愛情に触れることなく育った寺山にはさまざな逸話、醜聞(盗作が疑われた投稿、のぞきによる逮捕騒動など)のうわさが絶えず、一方、若くして開花した詩短歌、演劇、映画など多方面で才能を発揮した。競馬狂でもあった。
※自分から離れることを恐れる母親はつは九條との結婚に反対し、終始若い二人の行動を妨害(投石、放火など)し続け、寺山の死後記念館の設立許可・資料寄贈の許可が出されたのは、はつが亡くなるわずか2日前だった。他方、晩年、映子を必死で寺山姓に戻し養女とし、寺山と兄妹の間柄にさせた。
※九條今日子は2014.4.30食道静脈瘤破裂のため78歳で死去。
※寺山に関する本は多数あるが、氏を知る手掛かりとして当店所有の次の2冊を紹介する(田中は秘書として又劇団を支えたパートナーであった)。
・九條今日子「ムッシュ・寺山修司」1993.2.24第一刷 筑摩書房 (今日では絶版)
                      署名入り 1冊 価格:2,100円
・田中未知「寺山修司と生きて」2007.5.4初版第1刷 新書館 1冊:2,100円(美本)







1-3 寺山修司 草稿「相手を不幸にしないために」

寺山修司

鉛筆400字詰12枚完 専用箋使用 
           本人署名 価格:700,000円
※2013年5月4日は寺山修司の没後30年。閉塞する今日の時代に寺山修司の挑発と剃刀のような言葉が響く!!寺山は蘇るのか?いや生きている!!

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